すやすや


今年について
今年のわたしについて
わたしについて
私について

ずっと、赤の似合う女性になりたかった
私は黄色
わたしは青

やがて1つの緑色の細胞になりたいと
いまのわたしは思えている
それは進歩なのか、その逆なのか
いまのわたしには未だわからない

表と裏
見えているものとその中身
光と影
見えそうで見えないもの
どちらが本物と言えないもの
自己同一性
触ったらダメだよ
触りたくなるね
誰もが持ってる悪戯心
本能的で人間らしいぶぶん


いま思えば今年は「受容」の年だった
弾けるほど湧き起こるわたしの感受性は、よく人の価値観や世の中の常識と衝突し、納得のいかない気持ちを産み、それは心を冒していた
けど、今年はいろんな人の縁の糸やその絡まりに出会い、見つめ、見届け、触れ、触れ合い、ひたすら肯定をした


そういう人もいる
そういう人がいる

そういう生き方がある
そういう生き方もある

一文字違うこの文の違いはなんだろう
わからなくて

ひとつのひと
ひとりのひと

生命を宿した個体
心ある植物

言い方はいろいろ
でもどれも懸命に生きていた
そして生活をしていた
それがどのような評価を受け
どのような形をし、どのような色をし、どのような音を発していたとしても
出会う人、みな生きていた


ひとは名前や顔や声そして性別などを知らぬまま相手とどこまで「仲良く」できると思う?

その仲を繋いているのはなに?

仲を繋ぐために一番必要なものって?

そもそも仲ってあなたにとってなに?必要?

たかがインターネット
されどインターネット

年初め一緒に初詣にいったツイッタラーと
その年を忘れる会をしたから
ご縁ってすごいなあと思うばかり

ひとつひとつの縁の糸から
自分に役立つ知識が得られたか?とか
生産性ある関係か?とか
そういうのはどうでもよく

思い出が積み重なることが嬉しかった
思い返せる過去が増えたことに
1人では作れない過去を作れたことに
ただ、漠然と、感謝をした

人の生活を眺めるのは好きだ
そのときそのときは「出来事」でも
春に就職したひとは来年2年目か、とか
失恋したひとに彼氏ができている、とか
この人は結婚を、あの人は子を授かり
ああ、「変化」しているんだなと
時の流れに自分の身があることを認識する

そうやって変化を見ることのできる立ち位置でだれかと関わってこれたこの1年という単位を、愛おしく思うなどする。

手紙をもらったり
写真をもらったり
遠くから会いに来てもらったり
おめでとうと言われたり
大丈夫?と言われたり
ありがとうと言われたり
嬉しいと言われたり
探していた本を贈ってもらえたり
見た夢を物語にしてもらえたり
真剣に会話を交わしてもらえたり
心配をかけることを許されたり
どんなひとかを例えてもらえたり
生きる勇気をもらったり
死ぬという度胸をおそわったり
素直さについて知ったり
幸せを分けてもらったり
それでひどく安心したり
ああこのひとという人間が好きだと思えたり
この掴んだ糸を握ったまま離したくないと思ったり

いろいろ たくさん
こころが 揺れ動く 脈打つ 生きる
ひとと関わるって 生きてる感じがする

女だから男に好かれるとか
女だから女と仲良くするとか
ほんとうにそういうことは下らなく
わたしというひとりの人間が
どこかだれかの糸と交わることを成せた
そんな気がする年だった

まだ知りたい
無駄な出会いなどないのだと思えるくらいの人間でいたかったけど生憎度量がない
でもこのひと要らないやって知ることも要らないことじゃない、よね、きっと

でも、相手のこと
相手のおもう相手自身のこと
相手のおもうわたしのこと
わたしの思う相手のこと
相手のおもうわたしのおもう相手のこと
もっと、知ってみたい、自分の力だけで

はたしてわたしが頭だけの思念体と成り果てても、友達はできるだろうか
友達ってなんだろう
恋人ってなんだろう
家族ってなんだろう
ひとってなんだろう
わたしってなんだろう

なんだろう
そう思えるうちが、いまのわたしの
ちいさな幸福なのかもしれない

なんでもない日を迎えられた
その前の日、前の前の日、前の前の前の日にありがとうと思おう

どこかだれかの郷愁となれるような
そんなにんげんでありたいと、
にんげんに生まれたのだから
心の生きた眩しい
ほんとうのやさしさをもった
ただの緑の細胞でありたいと
願う、ひたすらに願う
願わくは、歌とともに、色とともに